感動したコトバ
引き続き,鷲田清一を読み続けている.
「てつがくを着て,まちを歩こう ファッション考現学」
なるほど,とまさに肚に落ちたこと.
『あなたでないとだめだ,というふうに愛してくれるひとが出現すれば,ひとはそんなタイプ分けがとたんにつまらなく見えてきて,もう「らしさ」にこだわらなくなるはずだ』
以前,「私らしさ」を語れる人がたくさんいることに驚き,感心したと書いたのだが,それではなぜ自分にはそれができないのかを考えてみても,よくわからんというのが正直なところだった.
でも,「○○らしさ」っていうのはいわゆるタイプ分けであって,だとすると自分で自分に「私らしさ」なんてタイプ分けをする必要はないわけで...他の人はどうだかわからないけど,私は,こういう考え方をするりと納得することができた.
自分ではない誰かが私という存在を発見し,認め,受け入れていてくれるのであれば,もうほんとに,「らしさ」とかどーでもいいっていう感じ,よくわかる.
ふふっ,愛されてる!
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諸君らひとりひとり個人の能力を高めることは高等教育のめざすところではない(おお、すごい断言)。
そうではなくて、私どもは「まわりにいるすべての人々の能力を高めるような人間」を育てることを教育の目的であると考えている。
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どうすれば、私たちの隣にたまたま居合わせたこの人々を、今よりもっとアクティヴで、もっとイノベーティヴで、もっとハッピーな状態にすることができるか。
それを思量することに優先的にリソースを備給する人間になりなさい。
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とあって,これも目からウロコの感動&納得だった.
鷲田先生のコトバ↓にもリンクする.
『だれか他人のなかで意味のある場所をじぶんが占めていると感じられたら,それだけで生きている意味が見いだせるということ...』
他人が自分という存在をつくってくれる.だとしたら,他人を含めて「みんなハッピー」を目指すというのは,スジがとおっているし,とても気持ちのよいことだ.
あぁ,すっきりした.
このすっきりって感覚が,けっこう大切なのよね.
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