ちぐはぐな身体(からだ)
鷲田清一.
副題の「ファッションって何?」というのがその時の自分の問いそのものだったので,迷わず購入した.
だが,その問いに対する自分なりの答えがみっかったということもあり,しばらく本棚の「まだ読んでないコーナー」に収まっていた.その後に購入した「てつがくこじんじゅぎょう<殺し文句>から入る哲学入門 鷲田清一×永江朗」のほうを,先に読んでみたりして.
昨日の夜,何の気なしに,寝る前にベッドで読もうと手に取ってみたところ,面白くって文庫本の半分まで読み進め,朝起きてからまた残りの半分を読んだ.
目からうろこの大興奮.
これまで衣服を「外側から」眺めていたことに気づく.どうしても,これを着ている私は他人にどう見えるのか,ということを抜きにしては,考えられなかった(人にどう見られるかなんて,どーでもいいじゃん!,なんて言いながらも).
しかし「外側から視点」の根底には,『<像(イメージ)>としての身体』という「わたし」の問題が確かに存在するのだ.
『ひとは,<像(イメージ)>としての身体のもろさを補強するために,いろんな手段を編み出すことになる.つまり,<わたし>というものの輪郭を補強することで,じぶんのもろい存在がかもす不安をしずめようとする.』
自分のからだを自分のものとして掴み取るための挑戦が,身体の加工であり,ファッションなのだ.
そう考えると,自分のなかにあった「私ってなんなの?」という問いと,「なぜこんなに服が,からだが,気になるの?」という問いが,ぴったり重なって表裏をなしていることに気づけるし,それがごく自然なことだということもわかる.
私は,洗濯が好きだ(たまに溜め込むけど).洗いたての白いシャツに袖を通す瞬間が好きだ.
つまりそれは,不安定な私の輪郭を確認するという作業なんだろう.着飾ることは軽薄なことととらえられがちだけど,そうじゃない.そのことに少し,勇気づけられる.
鷲田清一という哲学者の紡ぐ言葉は,ものすごく美しい.
『飾ったり,突っぱったり,ひねくれたり,ふてくされたり・・・.ファッションはいつも愉しいが,ときどき,それが涙に見えることがある.』
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